惰眠猫の寝言

(心の哲学、ヒト、アニメ、小説 など)

伊藤計劃 原作 アニメ 『ハーモニー』 

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伊藤計劃 原作 アニメ
『ハーモニー』

 

(投稿練習兼用)

 

アニメ『ハーモニー』を見た。
あのピンク色の柔らかい都市を見たくて。
生命の不気味さと悍(おぞ)ましさを具現化した都市を。

素晴らしいアニメでした。見事なオブジェの数々。割と原作通り。原作をよりわかりやすくするための小さな変更。制作者には賛辞をおしみません。

但し、結末を改悪したことは、断じて許せない。

原作では、「意識」とは何か。「苦悩のない調和ある社会と人生が実現できるなら、意識は不要か」を問うものであり、この主題を変える事は許されない。
アニメでは、哲学的かつ現代の深刻な問題でもある主題が、
「ただの片思いの無理心中」に矮小化されてしまった!!!!。 
これだけは許せない。

※ ここでいう「意識」は、「現象的意識」「クオリア」といわれるもの。あるいは「心」「感情を伴う意識」といったものです。
※ グラスゴースケールなどの生物としての自律的反応の有無を問うものではありません。

このアニメ又は小説を読まれた方、あるいは哲学っぽい話が好きな方、どなたでも、反論、異論、感想、質問、雑談なんでも歓迎します。
毎日1回以上見て返信をますので、是非返信ください。


■ネタバレ■

ーーーー 以下、ネタバレを含む個人的考察です。反論異論感想など頂けると嬉しい ----

都市の絵は期待通り素敵だった。カメラワークも、声も良かった。
冒頭と末尾の白いモノリス。生き物の内殻に置かれた真っ白なモノリスに浮かぶ ETML 記述。冒頭の椅子は空席。末尾では。。。。。

※ キャラデザは好みでないがこれは個人的嗜好の問題。
※ でも、どうみても15才には見えない!!!。 
※ 8才過ぎのミァハの写真を見れたのは思わぬ僥倖。幼い心身に最悪の責め苦を受けた上に重心理セラピーの拷問で身も心もボロボロに改変された後で、里親に引き取られた後の笑顔を浮かべるミァハの写真。

 

原作小説を読まずに、このアニメを見た人の感想を是非聞いてみたい。

 

小説の世界設定の説明をアニメ化するのは制作者が悩むところだろうけど。 省略し過ぎではないだろうか。
視聴者が全員ミシェル・フーコーを読んでるなんて期待できるわけは無いだろう。
生命政治やら生主義の残忍さなんて伝わらないのではないかと心配。

 

世界設定がきちんと伝わらなければ、
「やさしさに殺される」というこの作品の主題が誤解されるのではないだろうか。

 

8才に満たない女児が性奴隷として扱われ、その極限でのミァハの意識が産まれた体験がミァハの口から語られないとミァハの気持ちは理解できない。
アニメでは、そのあたりをほぼ原文通りに忠実に表現できていたので、制作者にエールを送りたい。


※ 某有名ラノベのように、出版にあたってWEB版原作を、言葉刈りだけでやさしくした残忍な日本社会に合わせて、改悪してしまった作品の出版社と作者には、このアニメ作品を見習ってほしい。(作者を弁護するならあのシーンは主題に直結しないから重要度は低いけど)。

 

人間には「虐殺を司る器官」がある。人間はどこまでも残酷になれる。


そして、人間にやさしさを強制し、争いのない、健康で老いを感じずに寿命まで行きられる超管理社会ユートピアは、人間を苦しめ若年自殺者の急増を招いている。

 

原作は、ミァハが描き完成直前となって充足していたハーモニーを壊す。ミァハは予想もできないことに驚いている。これは、ミァハのハーモニー、意識の無い世界、ユートピアへの人間の意識=魂の最後のささやかな抵抗。この魂の抵抗があるのか、予定調和の神の恩寵につつまれ御遣いミァハのままに無抵抗に屈服するかでは、作品の意味が大きく異なってしまうのではないか。


アニメは、ミァハの予定調和の範囲内で充足してしまっている。

 

作品の主題は人間の「意識」とは何かを問うことにある。

 

ハーモニーの世界を肯定しているのではない。

 

あの結末では、作品の思想逆転させ、調和した世界を肯定するだけでなく、人類に突き付けた究極の問いを、恋愛沙汰に矮小化させてしまう。

この素敵なアニメの、唯一の「汚点」。

 

アニメでは、「意識」を無くすことが良い事と決めつけられてしまう。 まるで中世欧州の基督教恐怖支配の世界を調和のとれた懐かしい世界と肯定するかのように。

 

意識(精神・魂)が自分に適した乗り物(肉体)を乗り換えていくのではなく、
身体(肉体)が、自分に適したように、意識(精神・魂)を変える。
肉体と現世を徹底的に批判した中世基督教のような恐怖世界になるか、はたまたSFのように、機械の身体を求め別の存在になるのか。
どちらにせよ、身体の復権をかかげる現代思想とは、相反する思想です。

 

便所の壊れかけ悪臭が漂うシーンで始まるバンカーの中の描写は素晴らしい。さすがアニメの本領発揮。私には、文字列では臭いまで感じられなかった。

意識がなくなるところをみていてくれる
この弾丸は私の意識が撃ったもの

「自由意志とは結果の責任を引き受けることである」と某学者は語った。

 

結末の汚点を除けば、総体としては良くできたアニメだと思う。制作者には賛辞をおしまない。
最初の山場であるキァンの自害のシーン、最後のミァハが幼児売春の対象にされた話、ほぼ原作通りに描かれている。

 

ミァハは、目的の為には手段を択ばなかったという罪で裁かれねばならない。
人間の調和、心の葛藤も苦しみもない世界を実現させるために、その目的とは真逆の手段、世界規模の多くの人間に、殺人の強要・混乱・暴動・自害を手段としたという罪に於いて裁かれねばならない。

 

断じて個人的欲情、片恋い故に殺されてはならない。

 

小説の記述通りであるべきです。

 

「あなたの望んだ世界は実現してあげる。だけどそれをあなたには、与えない」(『ハーモニー』文庫版 350頁

 

(投稿練習兼用の殴り書きです。よろしければ、コメント頂けると有難いです)

 

 ー 了 ー

 

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